小峰城三重櫓復元基本設計の建築データ
- 用途:文化財・史跡名勝・城郭
- 所在地:福島県白河市
- 構造:木造 三階建て
- 規模:延べ258.74㎡
- 工事種別:その他調査
- 竣工年:1988年08月
小峰城三重櫓復元基本設計の概説
木造3階建て
1階 | 170.48㎡ |
2階 | 72.65㎡ |
3階 | 15.61㎡ |
計 | 258.74㎡ |
平成木造復元天守級三重櫓第1号。
戦後、戦災によって消失した各地の天守が復興されるに当たり、不燃建築の模擬天守が数多く建設された。平成に入っても旧来の考え方(模擬天守による望楼建築求め、博物館、展示場用途とする)は一般的であって、多くの天守では模型・天守古図(建絵図、当時は建設にあたり大工が墨で建築矩計図を書いた)が消失したため、全国各地の現存天守を参考に設計され、建設された。計画当初は白河小峰城も同様であった。
白河小峰城は幕末の戊辰で消失したが、城郭絵図・三重櫓(天守)建絵図が存在し、その史料調査をしたことで丹羽長重が築城した当時(寛永9年、1632)の姿に、模擬三重櫓(天守)から本格復元三重櫓(天守)建設へと大きく舵を切る事が出来た。この後、復元には史料調査が必須となり、各地の平成木造天守・御殿建築復元へと繫がっている。
三重櫓(天守)復元設計前に、三重櫓(天守台)跡の発掘調査が行われた。本丸の東北隅の高台にあった為、ほとんどが崩れ落ち、飛散したものと思っていたが、上砂を退けたところ、三重櫓(天守台)礎石が現れた。慶應4年閏4月戊辰戦争で炎上焼失した当時のままの鮮やかな痕跡、炭化した木材、火災を受けた土台跡、壁漆喰材等は将に奇跡であった。これにより、正確な三重櫓(天守)土台、礎石の数値データ等が確保でき、三重櫓(天守)建絵図と一致した。この奇跡は三重櫓(天守)が落成後そのまま放置されたことを物語り、また、上砂はこの場所で天皇の明治巡幸が行われた時に、仮設小屋設営用に盛土されたものであった。
三重櫓(天守)3階建て
間口、奥行共二間づつ低減する。
物見櫓
1階・2階東西南北に石落としがあるため、変化に富んだ形態である。
中央1本の通し柱(建登柱)が特徴。
屋根
本瓦葺き、鯱瓦。
壁・軒裏
総塗り込め、腰下見板張り、建立当時は黒漆塗り。
設備
電気幹線、照明コンセント。